懲役3年執行猶予5年

強制性交、児童買春、児童ポルノで懲役3年執行猶予5年の判決を受けた男のブログ

ADHD

僕はADHDの診断を受けています。いわゆる大人の発達障害というものです。

ADHDの正式名称は「注意欠陥多動性障害」(※今は名前が変わっているかもしれません)で、注意散漫になったり、衝動的に行動してしまったり、順序だてて行動することが苦手だったりと、そうしたことが日常生活において困難になる障害です。

また、ASD傾向もあると医師から言われています。ASDとは一昔前まで「アスペルガー」と言われていたものです。他人の表情を読み取るのが苦手で、場違いな発言や行動をしてしまいがちなところから、対人関係を良好に築くことが困難な人です。

思えば、昔から友人の冗談が理解できなかったり、悪気なく相手が不快に思う発言をし、友達を無くしていくことが多くありました。

小中学生の頃はいじめも受けていました。

大学生の時もいじめにあい、退学をしています。※その後、別の大学で卒業しました。

そんな僕を「面白いやつ」と受け入れてくれた仲間もいましたが、長くは続きません。自然と疎遠になりますが、今思えば、波風立てずにスッと向こうが身を引いていたのかもしれません。

それが、今回の犯罪と何の関係があるのかという話ですが、裁判の際、僕の障害は情状酌量の余地としてかなり大きく働きました。

弁護士の先生も、この発達障害をかなり強くプッシュしていたような気がします。

裁判では「〇〇が原因で××の犯罪を犯した。だから今後は〇〇を△△の方法で治していくので、この人は安全ですよ」という筋道を立てるのが一般的です。

僕の場合は「発達障害と性障害が原因で、性犯罪を犯した。だから今後は発達障害を精神科で、性障害を認知行動療法で治していくので、安心ですよ。」という筋書きが出来上がります。

それが「執行猶予」にダイレクトにつながったのかは分かりませんが、少なくとも裁判官からも、発達障害についての質問は結構されました。

個人的にどう思っているかはさておいて、良くも悪くも、自分の障害を裁判で使ったという嫌なモヤモヤは残っています。

ただそれは、自分がまだ発達障害のことを自分で受け入れていない証拠なのかもしれないです。本当は素直に「自分は障害者なのだ」と受け入れなければいけないのかもしれません。

どこか自分の中に「自分は普通でありたい」と思ってしまっている自分がいます。

それを受け入れるまでは、本当の意味での反省にはつながらないのでしょう。

これは自分で自分を受け入れるための長い葛藤なのかもしれません。

うつ病

うつ病を患っていました。

正確に言うと、現在も続いています。

僕の場合は、無気力、睡眠不足、食欲低下が激しいです。ブログを書く気にもなれませんでした。

 

薬を使いながら少しずつ環境に順応しています。

昔は全く気になっていなかった、低気圧にもかなり影響を受けます。

頑張りすぎず、自分の為のブログだと思いながら少しずつ進めていきます。

国選弁護人

結論から言いますと、僕は国選弁護人に弁護をお願いすることにしました。正直、理由はなんとなくです。

 

よく聞く話しとしては、国選弁護人は選ぶことが出来ない為、相性の合わない弁護士に当たったり、その事件に得意でない弁護士に当たったりする可能性があるから、お金に困っていないのであれば私選弁護人を選ぶべき。というものがあります。

また、国選弁護人は私選弁護人に比べ報酬が少ないから、本気で取り組んでくれないというのも、よく耳にします。

 

ただ、僕がそれぞれの弁護士に抱いた感想として、最初に来た私選弁護人の「最初に相談された時はまさか逮捕されると思わなかった」「この後来る国選弁護人でもやることは同じだからどちらに頼んでも変わりない」という発言から、なんだか頼らないなと思ってしまいました。

一方、夜中に来た国選弁護人は、実際のニュース記事の切り抜きを持ってきてくれたり、過去の判例を元に話しをしてくれたり、「判決において12歳と13歳の間には大きな壁がある」といった具体的な話しをしてくれたりと、ただの僕の直感ですが、国選弁護人の方が一生懸命な感じがしたので、国選弁護人の弁護士にお願いをすることにしました。

ただ、それが正しい選択だったのか(※この場合「正しい」という表現は不適切かもしれません)は誰にも分かりません。

僕は、これまでの自分の選択から今を生きているので、その選択にとやかく言う資格はありませんし、その他の選択だった場合の人生についても確かめようもありません。

こうしたその場その場での選択が、今後の人生を大きく変えるかもしれないということを、今再認識しています。

本来ならば、そんな当たり前のことはとっくのとうに大人として知っていなければいけないはずでした。

「そんなことすら知らない」そうしたことへの気付きもまた、当時の僕の未熟さを感じる一つのきっかけとなっています。

ニュースに名前が出るかどうか

国選弁護人にまず言われたのは「あなたのことが記事になっています」でした。

アクリル板越しに見せられたのは地方新聞でした。そこには私が犯した罪と、警察で供述した内容、そして概ね罪を認めていることが書かれていました。

しかし、名前は出ておらず「20代会社員」としか出ていませんでした。

 

ニュースで世間に名前が知られる、知られない。ここが、逮捕された際にまず大きく分かれる分岐点だと思います。

 

どうして今回名前が出なかったのか、はっきりとした理由は分かりません。初犯だからなのか、他に大きな事件があったのか。色々と理由は考えられますが、ひとつこれかな?と思うのは、警察に向かう車の中で僕が精神疾患を患っていることを話したことです。

精神疾患を患っている人は、判決がどうなるか定かではないので警察も慎重になり名前を公表しないということを聞いたことがあります。

僕と同じような犯罪を犯して名前が出ている人はたくさんいます。そんな中、今回名前が公表されなかったのは、どうなんでしょう。僕は何か言える立場にはありません。

 

名前が出ている出ていないの差は、社会復帰をするにあたってかなりの差があります。このご時世、名前を検索すればすぐに色々と情報が出てきます。

 

就職活動でも名前は検索されますし、人によっては友達の名前を検索する人もいるでしょう。ニュース記事に名前が出ると、半永久的にどこかしらにその記事は残ります。

実際に留置場の中でも、ニュースに名前が出ているか出ていないかの話題は、かなりありました。名前が出ていて人生に落胆している人もいました。

留置場を出た後に通っていた性犯罪者向けのグループ認知行動療法の場でもその話題はかなりあがりました。それぐらいみんな気にしています。

 

ここに関して、僕は何も意見する立場にないので、今の現実を受け入れて生きていくしかありません。 

弁護士選び

逮捕の期限は72時間です。つまり3日間です。

そして、警察は留置の必要があると判断した場合、48時間以内に手続きを行わなければいけません。

 

どういうことかというと、逮捕をして留置場に置いておけるのは3日間です。軽い犯罪であれば、そこで捜査をして、あとは家に返しても逃げることもないだろうということで2泊3日で帰ることができます。

しかし、私のように実刑になるような重い犯罪の場合は、裁判に向けてしっかり取り調べを行わないといけないですし、2泊3日で出してしまったら逃げられる可能性もあるので、警察は48時間以内に「勾留」という、「この人をしばらく留置場に置いておいていいですよ」という手続きをとります。

 

2日目は、警察がそうした手続きをする日なので特に取り調べはありませんでした。代わりに、弁護士と話をしました。僕は二人の弁護士と話をしました。

一人は、事前に相談していた弁護士です(「弁護士を探す」の項で相談していた弁護士です)。もう一人は国選弁護人と言われる、国が用意してくれる弁護士です。

国選弁護人とは、貧乏な人でも弁護士がつけられるように国が手配してくれます。貧富の差で弁護士がつけられるつけられないが分かれてしまうのは良くないということでこの制度があります。国選弁護人にお願いをすると、裁判でかかった弁護士費用は国が負担してくれます。

 

一人目の事前に相談していた弁護士は、父が呼んでくれていました。「おはよう逮捕」の項で、車の中で刑事に色々聞かれたと書きましたが、そこで刑事から「誰か一人に逮捕されたことを連絡できるが、誰にする?」と聞かれ、父と答えた記憶があります。恐らく、そこから父が弁護士に連絡してくれたのでしょう。

 

その弁護士は「逮捕になるとは思わなかった」と仰っていました。ただ、逮捕されてしまったからには示談を急ぎましょうとアドバイスをしてくれました。また、お金のことについても話をしてくれました。概算でいくらかかるか、そしてこの後国選弁護人が来ること、その弁護士にお願いするとお金はかからないことを教えてもらいました。

 

その後、先ほどの弁護士が言っていた国選弁護人を待っていましたが、姿を現すことなく消灯時間になってしまいました。

どうなってしまうんだろうと不安の中、布団に入ったそのとき

「111番。弁護士さんが来たぞ。」と担当さんに呼ばれました。

弁護士との面会はいつでもできます。それが、留置場に留置されている人が唯一持っている権利です。僕は布団から出て、同部屋の他の方を起こさないようそっと弁護士のもとに向かいました。

 

国選弁護人は若い男性でした。

その人にまず「あなたのことが記事になっています」と言われニュース記事を見せられました。

留置場生活2日目

タイトルは2日目ですが1日目の夜のことから書きます。

 

夜は倉庫から自分の分の布団とシーツを持ってきて、自分で敷いて寝ます。布団の幅は狭く、寝返りはうてません。人ひとり分ピッタリくらいのサイズです。

布団のある倉庫は、鉄格子で囲われた部屋の外にあるため、この布団を取りに行くとき一瞬だけ廊下を歩けます。また、夜の歯磨きの時も洗面台を使うために一瞬だけ廊下に出られます。

ずっと鉄格子に囲われていると、この一瞬がとてつもなく開放的に感じられます。

 

就寝は21時です。

初日はなかなか寝つけませんでした。一応、部屋の電気は消されるものの、廊下の電気はつけっぱなしです。

もちろん部屋と廊下を隔てているのは鉄格子なので、廊下から差してくる光で部屋の中もかなり明るいです。

部屋の奥の方が暗くなるかと思いきや、トイレの明かりも付けっぱなしなので、部屋の奥はトイレの明かりで照らされています。

留置場生活の夜は、かなり明るい中での就寝となります。しかも本や漫画、もちろんスマホもありませんので、初日はずっと目を瞑ったまま数時間過ごしていました。

しばらく目を瞑って、何十分か経っただろうと時計を見ると、たった一分しか経ってない!なんてことをずっと繰り返していました。一分一秒がこんなにも長く感じたのは初めてです。

 

なんとかして睡眠を取り、翌朝起床は7:00です。

ほとんど眠れず、担当さんの「おはようございまーす!」の大きな声で辛うじて目が覚めました。

 

起きた瞬間、鉄格子とコンクリートの壁に囲われた部屋を見て愕然としました。

一瞬でも「夢から覚めたら全てが元に戻ってるかも」などと思っている自分がいたのかもしれません。

 

起きたらすぐに布団を畳み、倉庫に戻します。この時もまた、一瞬だけ廊下に出られるので少し心がスッキリします。

この一瞬廊下に出られる時に、僕はいつも心を救われていました。

留置場生活1日目②

留置場には7つの部屋がありました。僕はその中の一番手前の部屋である一号室で過ごすこととなりました。

 

部屋は全体で4畳くらいでしょうか。真ん中に3畳の畳が敷かれ、その周りを木床で囲われてます。

入り口から見て右斜め角にコンクリートで覆われた小部屋があり、そこがトイレです。

トイレは自殺防止の為の措置が色々となされています。まず便器は割ることができないように床に埋め込まれています。

トイレットペーパーは中の人が自由に扱えないよう、ロールは部屋の外に設置されており、細長い小窓からトイレの中にペーパーの先だけ出ている状態になってます。

トイレのドアは長方形ではなく、上辺が斜めになっています。これは、トイレのドアに紐をかけて首吊り自殺を防止する為です。

トイレにも外から見える窓があります。下だけ隠れているので、している所を見られることはありませんが、プライバシーはほぼゼロです。

 

僕が留置場に入った時間はちょうど夕飯の直前でした。留置場の部屋に入ると、先住の若い兄ちゃんに話しかけられました。

直前に刑事から「私語厳禁」と聞いていたので最初少し戸惑いましたが、無視をして関係を悪くしても良くないと思い、少し会話をしました。

お互いの名前、年齢、どんな罪を犯したか等を話したと思います。

後から分かったことですが、「私語厳禁」とは言われているものの、小声であれば留置場の担当官(みんな担当さんと呼んでいます)も特に咎めないそうです。

留置場内での話の内容は、だいたいが「どんな罪を犯したか」「裁判の進み具合」です。

相手の詳しい身の上や他人の話をすることはほぼありません。暗黙の了解で、なんとなくお互い触れにくいのでしょう。

 

若い兄ちゃんとしばらく話していたら、夕飯の時間になりました。夕飯は廊下に面している鉄格子の一角にある、小さな小窓から入れられます。

食事はいつも決まって、白米、おかず、野菜、お漬物が入ったお弁当です。それに、インスタントのお味噌汁が付きます。

インスタントのお味噌汁は、自分で味噌を容器に入れて、後から担当さんにお湯を入れてもらいます。ただ、担当さんがいつもドバドバお湯を入れるので、かなり薄味の味噌汁に仕上がります。

食事は割と美味しかったです。おかずも毎日日替わりで、ハンバーグや唐揚げ、魚とバリエーション豊かでした。

特段冷たくもなく、ほんのり温かかったです。

近所のお弁当屋さんで買ってきたお弁当を家で食べる時、ぐらいの温かさです。

 

初日は全く食事に手をつけられない人も多いそうですが、僕は全てたいらげてしまいました。

 

食事が終わると空いた食器を小窓から担当さんに返し、自由時間です。自由時間と言っても特にすることはありません。

ぼーっとしています。

長く留置場にいる人は、差し入れで本を持ってきてもらったり、留置場内で買えるノートに日記を書いたりして過ごしていますが、僕は初日なので何もありません。

 

ただ、新聞が一日一回各部屋を回ってきます。ちょうどその日は一号室が最後だったので、新聞を読んで過ごしていました。

 

新聞を読んでいると、一部黒く塗りつぶされている箇所がありました。若い兄ちゃんによると、ここの留置場にいる人の事件に関する記事は担当さんが塗りつぶして読めなくしているそうです。

 

黒く塗りつぶされている記事は社会面の教育に関するページでした。

僕は自分のことのような気がしてきて、一気に変な冷や汗が出て止まらなくなりました。