留置場生活1日目
留置場に入るにあたってまず一通りやらなければいけないことがあります。
身体検査です。
留置場は警察署の中にあります。警察署によって違うようですが、ある階の奥まったところに留置場のスペースがだいたいあります。
そして留置場に入るには何枚も扉を通らないといけません。僕がいた警察署は、廊下から少なくとも4枚の扉を通らないと留置場のスペースに入れませんでした。そして各扉の前にはいつも警察官がいました。すべての扉の前に常駐しているのかは分かりませんが、僕が通るとき(容疑者が通るとき)は必ずいました。
僕がいた警察署は割と古い建物だったので、身体検査やほかの手続き諸々はすべて留置場に入る前にある面会室で行われました。
留置場スペースと、パブリックなスペースの間にあって、面会ができる部屋です。もちろんですがその部屋は、分厚いアクリル板で仕切られてて間は行き来できないようになっています。
身体検査はすべて服を脱いで行われます。ただ、申し訳程度のプライバシーは守られているようで、ホテルにあるような着物を被せられていろいろなポーズを取らされて検査されました。
肛門の中までは検査されません。(刑務所だとあるらしいです)
一通り終わったら、持ち物を預けます。すべての持ち物に番号が振られ、管理されます。現行犯逮捕で荷物がたくさんある状態で来ると、その荷物すべてに番号を振る作業になり、かなり時間がかかるそうです。
僕はほぼ何も持たない状態で警察署にいったのですぐ終わりました。
服装は一応私服でもいいそうなのですが、ボタンはだめ、ヒモのあるものダメ…と色々制約があるので、大体の人は留置場で用意されている服を着ることになります。僕も警察官に渡されたグレーのスウェットを着ていました。大きく警察署の名前が書いてありました。脱走防止の為なのでしょうか。
ほぼみんなそれを着てます。
靴も預けることになり、サンダルに履き替えます。茶色のいわゆる便所サンダルです。
そこに番号が振ってあり、留置場内では必ずその番号で呼ばれます。僕は111番でした。名前では絶対に呼ばれません。個人情報保護の目的なんでしょうが、ずっと番号で呼ばれるとかなり心にダメージがきます。
そうして留置場生活の為の準備ができれば、中に入って留置場生活スタートです。警察官から言われたのは、中では私語禁止ということです。
留置場では複数人で生活する雑居に入れられます。僕が入れられたのは一号室で、そこには若い兄ちゃんとお年寄りの、二人の先住の方がいらっしゃいました。
入るとすぐに若い兄ちゃんに声をかけられました。
逮捕された日に警察署ですること
朝自宅に警察が来て、逮捕され、警察署に到着してからの話です。
警察署に到着してまずすることは、写真撮影、指紋採取、DNA採取です。写真撮影は、ドラマや映画でよく見るような身長の目安が分かる棒線が書いてある壁の前で行われます。いくつかの角度で撮られました。
そのあとは指紋採取です。指紋は専用の機械で両手すべての指紋がとられます。これが海外に行くときにとられる指紋と照合されるのでしょうか。分からないので、もしわかる方がいらっしゃいましたら教えてください。
最後に口の中の粘膜を採取してDNA採取です。すべてが終わったら取調室に入ります。
取調室には机が一つ置かれているだけで他は何もありません。僕が連行された警察署が古い警察署だったこともあるのかもしれませんが、角の何もない部屋に机が置かれただけのスペースでした。
そこでまずは昼食を取りました。かつ丼ではありませんでした。取り調べ=かつ丼ってイメージはどこから来たのでしょうか。
刑事がおにぎりをいくつか近くのコンビニで買ってきてくれましたが、あまり食べられませんでした。
取り調べは刑事と一対一にて行われます。刑事が淡々と質問をしていって僕がそれに答え、その答えを刑事がPCに打っていくというスタイルです。
そこでよく言われるのが、そこでの取り調べでは黙秘権を行使し、弁護士が到着して相談をしてから取り調べに答えたほうが良いということです。しかし当時の僕はそんなこと知らなかったこともあり、すぐに答えました。それが良かったのかどうなのかはわかりません。
一通り取り調べが終わると、最後に刑事がPCに打ちこんだものをプリントアウトします。それが供述調書です。供述調書の最後の行にサインをします。
気を付けなければいけないのは、そこで一度サインをすると、その後訂正が効かないということです。その供述調書は裁判で大事な証拠になるので、間違ったことがないか自分で読んでチェックをすることができます。
そうして取り調べが終わった後は、留置場に移動します。僕にとって、とても厳しい留置場生活が始まります。
おはよう逮捕
警察が家に来て逮捕されるのはだいたい朝です。なぜなら朝であれば在宅している可能性が高いからです。
朝に逮捕されるので巷ではよく「おはよう逮捕」とか「おはたい」などと呼ばれています。
僕の場合は前記事でも書いた通り、前日に警察に出勤時間を伝えていたのでその時間にやってきました。通常のおはたいより幾分か遅い時間だったと思います。
玄関を開けると怖い顔をした複数の男たちが立っていました。威圧感を与えるためでしょう。そして先頭には先日も来た恰幅の良い刑事が「裁判所からこういったものが出てるから」と令状(本当はもっと長く書いてありましたが何と書いてあったかは忘れました)と書かれた紙を目の前に出し、そのあと長いセリフを言い(〇〇の容疑で的なやつだったと思います)家の中に入ってきました。
先日あったO氏に関する警察の捜査で、僕のデジタル機器はすべて押収されていたため、家にはほぼ何もありません。連絡用にと新しく用意したスマホだけです。本来ならばそこで色々と押収されて、という流れになるのでしょうが、僕の場合はそのスマホだけがジップロックに入れられ押収されました。
その後、刑事から着替えとタオルを用意するように言われました。留置場で過ごすための一式です。ただ僕はその時、「そんなに長い時間はかからないだろう」と勝手に考えていたため、どうして着替えを用意するのかわかっていませんでした。
言われるがままに着替えを用意し、刑事と一緒に警察車両に乗りました。二度目の警察車両です。一度目と違うのは、車内で逮捕状を読まれ手錠をかけられたことです。
この手錠をかけられるというのが、かなり心にずっしりきます。
今までどこか他人事だったのでしょうか。手錠がかけられた瞬間にいろいろな思いがあふれてきました。
今までの自分の人生。後悔。反省。申し訳なさ。
刑事が色々と話してきていましたが、ほぼ覚えていません。
一つだけ覚えているのは、当時僕は精神病を患っていたため薬のことを話したことです。それが後に、その後の僕の人生を大きく左右することになったため、どうってことない会話でしたが今でも鮮明に覚えています。
精神病の薬がどうその後の人生を左右したかについてはまた追って書きます。
その日から僕の約20日間に及ぶ留置場生活がスタートします。
怯えながら過ごす日々
弁護士に相談した後は、いつ逮捕されるか常に怯えながら過ごす日々でした。
弁護士からは、近々逮捕されるか、事情を聞かせてくださいとまた呼ばれるか、のどちらかだと言われました。逮捕された際にはすぐに連絡をくれということで、その日は帰宅しました。
その後東京の家に戻り、普通に会社に通勤する日々に戻りました。
毎日仕事には行ってましたが、いつも心ここにあらずな日々でした。警察が逮捕しに来るのは決まって朝のことがほとんどなので、出勤時に外へ出るときはいつもびくびくしていました。
しかし、しばらく生活しているうちに、ある困りごとが出てきます。
金欠です。
警察に財布も押収されていたので(銀行のキャッシュカードもクレジットカードも)、家にあった貯金でなんとか賄っていましたが、ついに限界が来ます。
困り果てた僕は、事情聴取の際に警察にもらった連絡先に自ら電話をしました。財布だけでも返してもらえませんか、と。
その電話で警察から「朝何時に家にいますか」と聞かれます。
僕は財布を返しに来てくれるものだと思って翌日の予定を警察に伝えました。
翌朝、玄関のチャイムが鳴ります。僕は警察が財布を届けに来てくれたんだと思ってドアを開けました。
すると、そこには僕が想像していた風景とは全く違う風景がありました。
たくさんの警察関係者らしき男達が玄関前に押しかけ、ビデオも撮影されています。そして、一番先頭にいた警察が紙を取り出し、僕に見せました。
そこには「令状」と書かれていました。
弁護士を探す
「知り合いの弁護士に相談する」って言葉をよく聞きますが、知り合いに弁護士がいる人は少数だと思います。
それに、たとえ知り合いに弁護士がいたとしても、事件を起こしてそのことを知り合いに相談するのってかなり躊躇われるんじゃないかと思うんです。
実際、僕も友達に弁護士はいましたが、事件のことを相談することなど到底考えられませんでした。なので、ネットで弁護士を探して相談しました。
人生で初めて弁護士事務所に電話をかけました。弁護士事務所に電話すると、受付の人にどんな事件を起こしたのか、事細かに聞かれます。
見ず知らずの人に自分の犯したことを話すのはかなり抵抗感がありましたが、恐らくそこで事件の重大性を見ているんだと思います。
一通り話し終えると、すぐに事務所に来て欲しい旨を告げられました。僕の場合は緊急性がかなり高かったのでしょう。
僕がまず行動を起こしたのは、実家での警察による事情聴取が終わってからすぐでした。
今回は、前回の記事で書いたOについてのことでしたが、確実に次は僕のことで逮捕されると分かっていました。その日、警察に全てを話したからです。
弁護士に相談するのは1日でも早い方が良いのは前々から知っていたので、その日のうちに対応してくれる弁護士事務所を探しました。
逮捕されたら頼りになるのは家族だけです。かなり勇気がいりましたが、すぐに父に連絡を取り、一緒に弁護士事務所まで来てくれるように頼みました。
切迫した口調もあってか、幸いにも父は深く事情を聞かず、弁護士事務所まで来てくれることになりました。
朝出勤時に玄関を出たところを声をかけられ
当時僕は東京のアパートに住んでいました。
朝、普通に出勤しようとしたところ、アパートの玄関を出たところで恰幅の良い男性に声をかけられました。その男性は胸元から割としっかりとした黒い手帳を取り出し、その中身を私に見せました。
そしてドラマ等でもよく聞くセリフ「こういうものだけど」と話し始め、「Oという男を知ってるでしょ。そのことについて話を聞きに来たから」と言いました。
Oという男は僕と同じ性癖を持ち、SNSで知り合い、時折情報交換をする仲間でした。Oから児童ポルノの動画を買ったこともあります。
さらに、Oは数か月前に逮捕されており、僕はニュースでそれを知っていました。
そういった経緯から、事の次第を察することは容易でした。
そこからはすべてがあっという間でした。
僕のPCの中身を調べられ、児童ポルノが発見されるとすぐにPCは警察に押収されました。PCの他にはスマホ、タブレット、ノートPC等、デバイス関係はすべて持っていかれました。なぜかモニターディスプレイも持っていかれました。
スマホは、押収される直前に会社への電話だけならばしていいと言われ、会社には休むことだけを伝えました。
それから、そのまま私の部屋で事情聴取が始まります。僕はOに自分がどんなことをしていたかをLINEで話していたため、警察はそれの裏付けをとりたかったのでしょう。
その日の警察の主な仕事は、Oと接触のあった人の捜査でしたが、警察としては僕の余罪も追及したかったのだと思います。いわゆる芋づる式に逮捕というやつです。
僕は、Oが逮捕されたニュースを見てからいつかこの日が来ることは分かっていたので、正直に自分がやったことを話すことができました。パニックになることもなく、淡々と自分のことを話していました。
今思うと、時折警察がカマをかけてくるような質問をしてくるときもありましたが、それにも淡々と、やったことはやりました、違うことには違いますと応じている自分がいました。
一通りの事情聴取が終わると、実家に移動しました。実家にも何か証拠となるようなものがないか探るためです。僕は当時、実家にはなにも荷物を置いていなかったので、そこでは特に何も押収されませんでした。
実家についてからも事情聴取がありました。そこで話した内容が、このあと僕が逮捕される決定打になります。
強制性交、児童買春、児童ポルノ
強制性交等、児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護に関する法律違反
以上3つの犯罪で僕は起訴されました。
一つずつ見ていきます。
1,強制性交等
これは性犯罪に直結します。文字通り無理やり性交することです。暴行や脅迫などで性交することがこれに当たりますが、もう一つ13歳未満の人と性交することも、これに当てはまります。
13歳未満と性交した場合は暴行や脅迫がなくとも強制性交等になります。
僕は暴行や脅迫などは行っていないので、どうしてこれで起訴されたかについてはお察しいただけると思います。
2,児童買春
これは3つ目の「児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律」と二つで一つのセットになることが多いです。この法律でいう「児童」とは18歳未満の人のことを指します。
児童に何かあげる約束(お金でなくとも)をして、性交するとこの罪に問われます。
3,児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律
これはかなり幅広いです。自分の性欲を満たすために児童ポルノを持っているって段階でこれに当たります。
自分で作成したり誰かにあげたりしても、もちろんこれに問われます。
この3つの中で一番重い罪なのが1の強制性交等です。
5年以上の有期懲役(必ず刑務所に入る)となります。5年以上というのは執行猶予にできません。
(では、なぜ僕が執行猶予となったのかはまた別の記事で書きます。)
昔は強姦罪と言われていました。それが2017年に名前が変わって強制性交等になりました。強姦罪とは何が違うのかというと
強姦罪は被害者が女性のみでした。
男性がいくら無理やり性交されたとしても、強姦罪にはなりません。それは13歳未満でも同じでした。
それはおかしいだろうということで、被害者が男女どちらでも同じ罪に問われるようになりました。
もし僕が2017年より以前にこの罪を犯していたら、強姦罪には問われませんでした。